2017年11月18日 本紙掲載
11月 18

東土塁付近で発見された巨大な門の礎石。石垣に使われた築石(写真奥)も多数見つかった=17日、三戸城跡

 三戸町教委は17日、戦国時代に北奥羽地方で最大の勢力を誇った三戸南部氏が拠点とした同町梅内の三戸城跡で、1500年代後半~1600年代前半に造られた、本丸につながる「大御門(おおごもん)」の礎石が複数見つかったと明らかにした。門幅は約9・5メートルと推定され、後に完成した盛岡城を除くと、同時期に青森、岩手両県に点在する南部氏関連の城館の中では最大という。一族を束ねた三戸南部氏の威厳の高さを示すとともに、町が目指す国史跡指定に向けて弾みとなりそうだ。

 三戸城跡は現在、城山公園として利用されており、本丸などのあった中心部は昭和期に大規模な開発の手が加えられた。未解明な部分が多く、南部氏ゆかりの城館で唯一、国史跡となっていなかった。

 町は本年度、本丸周辺の本格的な発掘調査を実施。糠部神社の裏側に現存する土塁(東土塁)付近で、規則的に並ぶ礎石を見つけた。直径は最大1メートル35センチ、最少85センチ。7個のうち1個は近代に重機で動かされた痕跡があった。

 礎石の間隔などから門扉幅と奥行きは、それぞれ約5メートルと推定。16世紀後半に城を治めた26代信直や、初代盛岡藩主で1619年に城を直した27代利直の時代の遺構と考えられる。

 礎石の発見地点の南西側には土塁(西土塁)が残り、幕末に描かれた絵図では門の付近まで延びている。門は当時、東西の土塁に挟まれる形で築かれたとみられ、規模や建築技術を踏まえると、2階建ての「やぐら門」だった可能性がある。絵図で東土塁は石垣となっており、礎石の近くからは崩れ落ちた築石(ちくいし)や土塁の切れ目を表す角石(すみいし)も見つかった。

 同日、視察した青森県企画政策部世界文化遺産登録推進室長で、同城跡保存整備検討委員会の岡田康博委員長は「礎石からみると、立派な門があったと考えて間違いない。保存状態が良く、国史跡に向けて希望が持てる」とした。

 町は来年度以降も調査を続け、門のあった詳しい時期や構造などの解明に当たる。

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