2017年10月28日 本紙掲載
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三本木開拓前の十和田の歴史を知る手掛かりとなる「滝沢家文書」

 十和田市滝沢地区の歴史を今に伝える江戸時代の古文書「滝沢家文書」。同地区の旧家・滝沢家が市に寄贈した史料で、新田開発や櫛引八幡宮(八戸市)との関連が記録されるなど、幕末の三本木原開拓以前の歴史をひもとく鍵となり得る。2014年からの解読作業がほぼ終了し、29日から十和田市民交流プラザ「トワーレ」で解読成果を展示する。市教委スポーツ・生涯学習課の新山純槻主事は「地域の歴史に興味を持つきっかけになれば。歴史研究の材料としても役立ててほしい」と話す。

 「滝沢氏系譜」によると、滝沢家は主君・南部光行の命で、建久元(1190)年に甲斐国(現山梨県)から滝沢地区に移り住んだとされる武士の家系。江戸時代には、代官の配下として領地を直接統治する「御給人(ごきゅうにん)」の身分だった。同地区の中渡八幡宮を管理し、同神社が由来との伝承がある櫛引八幡宮の「鍵守(かぎもり)」として、祭祀(さいし)を執り行ったという。

 史料は14年、滝沢家26代目の医師・滝沢鷹太郎さん=八戸市在住=が、同地区の旧家や土蔵を解体した時に見つかった。古文書類に加え、脇差しや陣羽織、陣がさなども良好な状態で発見。多くの人に関心を持ってほしいとの思いから、十和田市に寄贈した。

 滝沢さんは「十和田にも古い歴史があることを知ってほしい。歴史スポットとして、滝沢にたくさんの人が訪れてくれれば」と期待する。

 同市は、八戸歴史研究会の三浦忠司会長に作業監修を依頼し、八戸古文書勉強会の協力を得て約3年かけて解読、分類作業を進めてきた。古文書は手紙や記録など1080点で、天和3(1683)年~昭和初期の物。主に新田開発や領地経営、周辺地域の歴史、櫛引八幡宮と中渡八幡宮の神事、藩からの通知に関する内容に分けられる。

 三浦会長によると、盛岡藩の特徴的な制度である御給人に関する史料は少なく貴重で、「どのように新田を開発し、生活していたのかが分かる。飢饉(ききん)の時には山林を伐採してまきを売る許可を藩に陳情するなど、村のために尽くす姿も見える」と分析する。

また、正徳5(1715)年の「陸奥南部糠部(ぬかのぶ)郡瀧澤中渡正八幡宮縁起」は、櫛引八幡宮に関する縁起の中でも古く、南部氏による系譜の成立過程を知る手掛かりにもなるという。明治時代に学校建設のための収益を得るため、牧場(後の市営大平放牧場)の経営を政府に願い出る書状や、明治維新期の藩の動向を記した日記などもある。

三浦会長は「滝沢家はいつの時代も村の中心にいた。ずっと村に関わってきたからこそ、文書から村の歩みが分かり、村人への思いやりも伝わる」と評する。市は翻刻集を刊行する予定で、開拓前の十和田の姿を浮かび上がらせる史料として研究に役立てたい考えだ。

「滝沢家文書展」は11月19日まで。時間は午前9時~午後5時。入場無料。問い合わせは十和田市教育委員会=電話0176(72)2313=へ。

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